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住環境支援事業部 業務課 主任 2009年 中途入社
新城 学 SHINJO MANABU
PROFILE
長年金融業界で経験を積み、2009年にレキオスへ中途入社。家賃債務保証の管理部門(ライフサポート課)にて数値のマネジメントを担いながらお客様の生活再建に寄り添う。現在は、審査部門に従事し、契約における入口の段階で家賃債務保証を支えています。

『数字が全てという価値観が
180°翻った自分を生きる人生舞台』

レキオスとの出会いを教えてください。

34歳の時、12年勤めた金融会社を辞めました。その後、職業訓練校や高齢者介護の仕事など、それまでやったことがない分野に挑戦した時期もあったのですが、いまいちうまくいかず…。結局、不動産会社に転職しました。”数字が全て”という意味では、前職の金融会社と似た社風でした。

事務所に寝泊りして、家に帰るのはお風呂だけ…。というような生活をしていたので心身ともにバランスを崩してしまい、その会社も半年足らずで退職。人生のドン底を味わった時期に、知り合いがレキオスで働いており、紹介されて入社しました。

レキオスに入社してすぐの印象は?

不動産会社の経験もあったので「家賃債務保証の会社」くらいの認識しかありませんでした。当初はとにかくこんな自分を拾ってもらったのだから…という感謝の気持ちだけで働いていました。
ようやく周りが見え始めたころ、宜保社長が「数字や結果が悪い!」と社員を叱責している姿を一度も見たことがないことに気づきました。

それまでは、会社のため、支店のため、自分のため。数字のためだけに働け!というトップとしか働いたことがなかったので、衝撃でした。しかもそのトップとは、直接喋ったことがない。でも、宜保社長は日頃から、どんな社員にも声をかけてくれていました。もちろん自分にも。それがとっても新鮮でした。

これまでの社歴の中で思い出深いシーンは?

実は病気を患って入院したことがあるのです。そんな時、直接の上司だけではなく社長まで飛んできてくれました。そしてとにかく、心配しなくていい。と心身ともに支えになって頂きました。
両親以外に、こんなに身近で親身になってくれる人には初めて出会いました。好きとか尊敬とか敵わないなぁとか憧れとか…。いろんな感情が混ざっていますが、とにかくそう想える人のもとで働けるということは、幸運です。

あなたにとってのレキオスとは?

実はこういうことが重なって、いつからか宜保社長が全社員へ向けたメールや全体勉強会の時の話など、自分なりに手帳にまとめていくようにしていたんです。
仕事で行き詰っているとき、自分以外の仲間が落ち込んでいるときに、いつでも見返せるように、と。
この手帳には、人生は道場みたいなもの。自分を育成する場。みたいな文言が異口同音で何度も書かれていました。まさにそうだなぁ…。と自分も50歳を超えて想うようになりました。
もしかしたら、昔の私のようにただお給料をもらうための場所を求めている人には、レキオスは合わないかもしれません。でも自分以外の誰かのために、本当にあなたが自分の力を尽くしたい。と思うのであれば、最高の舞台がレキオスなんじゃないかな。そう思います。
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